Berlin Chronicles 2017 ー 第5章 : Stasi Museum ― 監視国家の残響
Stasi Museum Berlin – The Cold Echoes of Surveillance
書こうか、書くまいか、とずっと考えていた旧東ドイツの秘密警察Stasi(シュタージ)について綴ってみたい。
まずStasiとは、1950年設立されたドイツ民主共和国(旧東ドイツ - DDR)の国家保安省、Staastssicherheitの文字を取ってStasiと呼ばれた組織。全盛期には、ナチス政権下のゲシュタポ、ソ連のKGBを凌ぐ徹底的な相互監視網を敷いていた(wikipediaより)。
その全貌を探りたくてStasi Museum(シュタージ博物館)に行ってみた。ベルリンだったら、もっと楽しくて見るべきところがたくさんあるのに、何が嬉しくて、こんな場所へ ?
ベルリンって、クーダムみたいな高級ブティックが立ち並ぶ華やかな地区とか、
Potsdamerplatz(ポツダム広場)みたいなハイパーエリアがあるけれど、
ドイツという国がこれまでやってきたこと、経験したことを忘れないために残されているスポットがたくさんある。
East Side Galleryも、
Checkpoint Charlieも、
Grunewaldの17番線ホームも・・・。
で、Stasi Museum。中心からはちょっと離れているので、観光で行くようなところではない。まず、旧東の中心AlexanderplatzからU-bahnの5系統で、Magdalenenstraßeに行く。位置関係としては、こんな感じ。
地上に出ると入口があり、
もう少し歩くと博物館である建物が見えてくる。これが、当時の全貌を示したパネル。
まずStasiとは、1950年設立されたドイツ民主共和国(旧東ドイツ - DDR)の国家保安省、Staastssicherheitの文字を取ってStasiと呼ばれた組織。全盛期には、ナチス政権下のゲシュタポ、ソ連のKGBを凌ぐ徹底的な相互監視網を敷いていた(wikipediaより)。
その全貌を探りたくてStasi Museum(シュタージ博物館)に行ってみた。ベルリンだったら、もっと楽しくて見るべきところがたくさんあるのに、何が嬉しくて、こんな場所へ ?
ベルリンって、クーダムみたいな高級ブティックが立ち並ぶ華やかな地区とか、
Potsdamerplatz(ポツダム広場)みたいなハイパーエリアがあるけれど、
East Side Galleryも、
Checkpoint Charlieも、
Grunewaldの17番線ホームも・・・。
で、Stasi Museum。中心からはちょっと離れているので、観光で行くようなところではない。まず、旧東の中心AlexanderplatzからU-bahnの5系統で、Magdalenenstraßeに行く。位置関係としては、こんな感じ。
もう少し歩くと博物館である建物が見えてくる。これが、当時の全貌を示したパネル。
ベルリン東部、リヒテンベルク区のノルマンネン通り20番地。
かつてStasi(東ドイツ国家保安省)の本部があった建物は、今も静かに当時を語り続けている。 コンクリートの無機質な外観、蛍光灯の光、木製の机に積まれた書類の山。
そこには、声にならない記録と沈黙がいまも漂っていた。
小さな入場券売場があり(多分当時は、入館のための手続きをする窓口だったんでしょう)、係の人にBerlin WelcomeCardを提示し割引でチケットをゲットし、写真撮るんだったらプラス1ユーロで。ということで、写真パスをもらう。
この写真パスに描かれているFelikx Dzierzynski(フェリックス・ジェルジンスキー)って、どんな人なんだろう。きっと秘密警察と関係のある人だろうと思って調べてみると、ロシア10月革命後の反政府運動を監視・摘発する治安部隊の必要性を感じたレーニンによる、反革命勢力排除という命により設立された「反革命・サボタージュ取締全ロシア非常委員会(チェーカー)」を設立した人物。その後チェーカーは、治安維持のための常設機関となり、彼は初代長官に就任、構成員による監視と粛清を続けた。つまり「秘密警察の父」と呼ばれた人物。
そして、彼にちなんで、シュタージが保有した準軍事組織につけられた名前が「Wachrengiment Feliks Dzierzynski(フェリックス・ジェルジンスキー衛兵連隊)」。シュタージという秘密組織の中にあって唯一、市民の目に触れる部門のいうことで、旧東ドイツ市民にとっては、恐怖の権化であったそうだ。
灰色の本部と、日常の裏側
写真パスをもらって館内に入ったが、無機質なオフィスビルそのもの。マルクス像と、秘密諜報機器を備えた特殊車両がいきなり目に入る。
そして階段を上がると、Stasiの歴史を展示したフロア。
1949年、旧東ドイツが建国したころのポスター。ソビエトの影響が強く現れている。
これは、当時のプロパガンダ。「敵は私たちを迫害し、破壊しようとしている。」そんなことが書かれている。
まず、草創期の重要人物の画像、Wilhelm Zaisser(ヴィルヘルム・ツァイサー、右)とErnst Wollweber(エルンスト・ヴォルヴェーバー、左)
そして、彼らの元で次官、副局長を務めながらも、彼らを弾劾し、のし上がっていった人物がいる。それは、このErich Mielke(エーリッヒ・ミールケ)。
1961年9月まで、彼の私設秘書を務めたUrsula Drasdo。彼女の夫は、かつてMielkeのボディガードであり運転手であったHerbert Drasdo。
Mielkeは、1953年のベルリン暴動をきっかけにZaisserを弾劾した。Ernst Wollweberが更迭されると、その後任として国家保安省長官となった。30年間長官に君臨した彼の指導により、シュタージは、正規職員91,000人、非公式協力者173,000人の巨大組織に成長し、彼には「恐怖のマスター」というあだ名がつけられていた
1961年8月の「ベルリンの壁」建設
そして、1968年の「プラハの春」
Mielkeの生涯を説明するパネル。
とりあえず、文字量がハンパではない。ドイツ語と英語が併記されているのであるが、じっくり読んでいくと、いくら時間があっても足りない。
そして、当時の会議室がそのまま残っている部屋に行く。
1961年9月まで、彼の私設秘書を務めたUrsula Drasdo。彼女の夫は、かつてMielkeのボディガードであり運転手であったHerbert Drasdo。
Mielkeは、1953年のベルリン暴動をきっかけにZaisserを弾劾した。Ernst Wollweberが更迭されると、その後任として国家保安省長官となった。30年間長官に君臨した彼の指導により、シュタージは、正規職員91,000人、非公式協力者173,000人の巨大組織に成長し、彼には「恐怖のマスター」というあだ名がつけられていた
そして、1968年の「プラハの春」
Mielkeの生涯を説明するパネル。
とりあえず、文字量がハンパではない。ドイツ語と英語が併記されているのであるが、じっくり読んでいくと、いくら時間があっても足りない。
そして、当時の会議室がそのまま残っている部屋に行く。
この建物は、1960年代初頭に建てられたグレーバウトの典型。
ただのオフィスに見えるその空間が、国家による監視の中心だったという事実に、
人は静かな恐怖を覚える。
「普通」であることほど、不気味なことはないのかもしれない。
そこに置かれていたタイプライターや通信機器。この部屋でどんな会話がなされ、どんな文書が作成されたのだろう。
そして、Mielkeが使っていた応接室。テレビが時代を感じさせる。
監視の機械たち
そんなStasiにより、人々は常に監視されていた。
展示室に並ぶのは、盗聴器、隠しカメラ、においサンプル。
市民の“日常”が観察対象として保存されていた。
友人や隣人が“協力者(IM)”として記録を残したという現実。
ガラス越しに並ぶ機械の数々は、過去の遺物ではなく、
いまなお私たちの社会に潜む構造を映している。
これは、西ドイツから東ベルリンに送られた小包。
この「DDR1035」というのが、検閲番号なのかもしれない。
電話の盗聴はもちろん、いたるところに盗聴機器があった。
それだけではない。切り株の中に隠されたカメラでの盗撮。
現場を押さえるため使われていたポラロイドカメラ。
写真には収められなかったが、人の匂い、体臭のサンプルまで保存していたそうだ。そのやり方は、容疑者が座っていた椅子の布を瓶に入れて保存するというもの。
もちろん、DVP(Deutsche Volkspolizei - ドイツ人民警察)も、Stasiの重要なパートナーであった。
このような服装で、
このような武器を持っていた
ポケットには手榴弾を隠した、
衛兵連隊や、警察官が街を徘徊し、容疑者をこのような拘束具で連行したのであろう。どのように使われていたかを示す写真が入った本とともに展示されている。
若者たちはどうだったか ?
ドイツ社会主義統一党参加の青年組織であるFDJ(自由ドイツ青年団 - Freie Deutsche Jugent)に加入し、マルクス・レーニン主義の宣揚および社会主義の促進を目的としていた。
いかにも国家発揚のためのDDRらしい当時のポスターである。
複数のパスポートを持って暗躍したスパイとか、
一般民間人を含む非公式協力者についての展示もあった。
いろいろ思い出しながら、これを書いているのだが、あまりにも情報量が多すぎて話がうまく流れていないかもしれない。
すべてを見終わって、とても心が重くなった。いろんな博物館を見ているが、こんな感覚になったのは初めてかもしれない。同じ、旧東ドイツの生活、文化を展示したDDR Museumでは、不自由な生活ながらも、なんとか楽しく生きようとする人々の展示をみて、当時の人々の力強さを感じた。
記憶を見つめる場所
でもここは全く別。Stasi Museumは過去を展示する場所ではなく、 “自由”という言葉を再び問い直すための空間である。 恐怖が消えたあとに残るのは、沈黙と、問いだけ。その静けさの中にこそ、記憶は息づいている。
これも、ドイツがやってきたこと。
やってきたことは許せないが、それをこのような形で現代にも残し伝えている「ドイツ」という国は立派だと思った。
そうそう、このStasiをテーマにした「善き人のためのソナタ」というアカデミー賞外国語映画賞受賞を受賞した映画があるそうだ。
もし、またここを訪ねることがあるようであれば、この映画で予習して、じっくりと館内をみてみたい。
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📷 Text & Photography © 2013–2025 Phase6498 Travel Journal



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