サマルカンド弾丸ツアー。最終章。
もう一つの美しい場所。大きな道路を跨ぐ陸橋を渡り、ハズラティヒズル・モスクに行きます。
途中、陽気なおっちゃん軍団に声をかけられました。「日本人ですよ」、っていうと、たいそう喜んでくれて、みんなで写真撮ろうということになり、そのあともしばらく話をしました。
で、このハズラティヒズル・モスク。
壮大な宗教建築で、もともとはゾロアスター教(拝火教 - 歴史の授業で必ず出てきますよね)の寺院。
また、初代ウズベキスタン大統領、イスラム・カリモフが眠るところ。
テラスまで登ります。ここにも美しい装飾が。
さらに歩いて墓地を発見。そして、もう少し周辺を探検。
そしてもう少し歩いていくと
気になる門があって、
横のドアが開いていたので、入っていくと墓地でした。
やっぱりロシア風の墓石がたくさんありました。不謹慎かもしれませんが、もう一枚。
ロシアは墓石に亡くなった方のポートレイトをはめ込みますが、ここでもそうなんですね。
もう少しモスクの周りを歩いて、シースルーのドーム。
ウルグベク天文台跡へ。
「サマルカンド・ブルー」を存分に体験した後は、仕事柄気になっているところへ。それは「ウルグベク天文台跡」。
レギスタン広場にあった「ウルグベク・メドレセ」の名前の由来は、神学や天文学を教えていたウルクベクにあります。
実は「太陽暦」が初めて計算されたのは、ウズベキスタンのサマルカンドの地なのです。ウルグベク天文台の入口を入るとすぐに、大きな六分儀の遺構があります。アミール・ティムールの孫ウルグベクは、ここで1年間365日6時間10分8秒と推測しました。現在の太陽暦とその誤差1分未満で、今私達が使っている太陽暦が生まれたのは、まさにこの場所なのです。
彼の業績で一番有名なのは、たいした精密機器もなかった中世イスラム世界で、一年の長さをほぼ正確に計測したことです。彼の計測した数値は現代の計算による数値とわずか数秒の違いしかなかったのです。
適当な場所まで歩いて行って、ヤンデックス・タクシーを呼び、目的地へ。
入口に到着しました。階段を上っていきます。
そこで現れるのは。
ドームをくぐっていくと
巨大な六分儀の地下部分が残っています。
そして日時計もあります。
この中央アジア、ウズベキスタンで天文学を極めた偉人がいたことを知って、より天文に興味を持ちました。
サマルカンド弾丸ツアーの一日が終わりました。最初から危惧していたこととはいえ、弾丸は無理すぎました。結果、見たかったところの半分も見れていません。次回、できるだけ早い機会に2,3泊して、この街のすべてを見てみたいと思います。
タイムオーバーです。ヤンデックスでタクシー見つけて、サマルカンド駅へ。
タシケントに戻ります。
次章。いよいよ、大都会。タシケント編の始まりです。
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