Stasi MuseumからCheckpoint Charlieへ


Stasi Museum(シュタージ博物館)を見た後(この博物館で見たことは、こちらから)、建物の外にある写真展を見ました。Leipzigの歴史的な集会から、壁の崩壊、ブランデンブルク門での歓喜までの報道写真、時系列的に展示されていました。



野党の合法性という看板を掲げた共同行動




伝説のLeipzigにおける大集会



Stasi Museumを後にし、世界で一番有名な国境、Checkpoint Charlie(チェックポイント・チャーリー)に行くことにしました。

位置関係としてはこんな感じ。


まず、最寄りの駅MagdalenenstraßeからU-bahnの5系統で、




Alexanderplatzで、2系統に乗り換えてStadtmitte下車。Fridrichstraßeを探検しながら、Checkpoint Charlieを目指します。


方向は逆ですが、Neue Kirche(新教会)をちらっと見に行って、目的地までひたすら歩く


このNeue Kirche(新教会)やFranzösischer Dom(フランス大聖堂)などがあるGendarmenmarkt(ジャンダルメンマルクト)の紹介はまた別の機会で。

そしてCheckpoint Charlieに到着。




Checkpoint Charlieは、第二次大戦後、東西に分断された東西ベルリンの境界線上に置かれていた国境検問所のひとつ。Charlieというのは、てっきり人の名前だと思っていたが、西側諸国による呼称で、NATOが決めた欧文通話表の「C」にあたるCharlieから取られたものだそうだ。つまり「C検問所」という意味合い。ソ連側では、ただ単に「フリードリッヒ通り検問所」と言っていたそうだ。

karte berlier mauerより

これは、ベルリン市内の検問所が示された地図。黄色い線が「ベルリンの壁」であったところ。これを見ると。当時ベルリンが、アメリカ、イギリス、フランス、ソビエトにどのように統治されていたのかがよくわかる。このCheckpoint Charlieだけではなく、Bahnhof Friedrichstraße(フリードリッヒ通り駅)や


シュプレー川に架かる2つの塔が美しいOberbaumbrüke(オーバーバウム橋)も検問所であった。






当時の国境跡には、西側から入るとこんな看板、

それを越えて振り返ってみると、このように書かれている。

どちらも、ここより敵側(アメリカ側、ソビエト側)となっているが、東から西へは、付帯事項が記されているのが興味深い。

今となっては一大観光スポットの一つであるCheckpoint Charlie。国境警備員のパフォーマンスを演じている男性も、男の子のリクエストに気軽に応じていた。


左側には、Checkpoint Charlieのミュージアムと土産物屋がある。











2013年訪問時にはなかったのだが、右側のビルにBack Factoryというカフェができていた。その2階のテラス席で、この歴史的スポットの観察。


さて、kochstraßeの駅を越えて、バスを乗り継いで、Kreuzberg(クロイツベルク)を目指します。





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