日本の運命を決定したポツダム会談が開かれた場所、Schloß Cecilienhof(ツェツィーリエンホーフ宮殿)を見に行ったときのお話。
Schloß Cecilienhofは、1917年に当時のドイツ帝国皇太子であったKronprinz Wilhelm(ヴィルヘルム・フォン・プロイセン)のために、Kaiser Wilhelm II(皇帝ヴィルヘルム2世)が建てました。宮殿の名前は、皇太子妃Cecilie(ツェツィーリエ)にちなんでいます。

1918年にヴィルヘルム2世が亡命・退位したため、宮殿は国のものとなりました。そして、1945年にはソ連軍に占領されてしまいます。
同年、ここでアメリカ・イギリス・ソ連の首脳が一堂に会し、ポツダム会談が開かれ、第二次世界大戦の戦後処理についての話し合いが持たれました。ベルリンの都市の損傷が激しかったため、警備の容易なこの場所が選ばれたといいます。(世界遺産のホームページより)
ここへの行き方ですが、ベルリン中央駅からはS-Bahnの7系統で約40分。これは、今回乗車したCharlottenburgの駅。
まもなくして、Potsdam Hbf(ポツダム中央駅)に到着。
まずは、X15のバスでSchloß Sanssouci(サンスーシー宮殿)に行く。サンスーシ公園北東部にあるロココ調の雄大な宮殿。外観は、ウィーンにあるMarie Antoinette(マリー・アントワネット)のお母ちゃん、ハプスブルクの女帝マリア・テレジアの時代に完成したSchloß Schönbrunn(シェーンブルン宮殿)のような明るい黄色だ。そう言えば、Marie Antoinetteがヴェルサイユに嫁ぐ途中に立ち寄ったのが、南ドイツのFreiburg im Breisgau。今では、Baselworldでの定宿にされている方も多いし、そして松山市と姉妹都市の街。かれこれ20年前、まだこの街がそんなにポピュラーではなかった時代、バーゼルに行くときは必ずこの街を拠点として動いていた。当時はマルクの時代なので、宿代もとてもリーズナブルで、いたるところに水路が巡らされた美しい街。そんなところが好きだった。
で本題に戻って、これは、2001年にこのシェーンブルン宮殿を撮影した古い写真をスキャンして加工したもの。
そして、サンスーシ。
で本題に戻って、これは、2001年にこのシェーンブルン宮殿を撮影した古い写真をスキャンして加工したもの。
2001年に訪問したSchloß Schönbrunn
そして、サンスーシ。
この場所の紹介と、ツェツィーリエンホーフ宮殿までの道のり。本来であれば、ここからバスを乗り継いでいくのが正解であるが、なんと、徒歩で行ってしまったので、街中でいろいろ興味深いものを見つけました。その紹介は、また機会があれば。
歩きに歩いて、やっと到着しました。宮殿の全景を紹介したプレートがあります。
歩きに歩いて、やっと到着しました。宮殿の全景を紹介したプレートがあります。
サンスーシと比べると、とてもこじんまり。質素な感じです。
中に入って、他の博物館と同様、入場券とカメラパスを購入。館内の見学を始めます。
まず、ここの主人であった皇太子と皇室の歴史を紹介したパネルがあります。
プロイセン王国、最後の皇太子 Kronprinz Wilhelm(ヴィルヘルム・フォン・プロイセン)が過ごした船の室内をイメージした部屋。
そして、リビングルーム。
プロイセン王国、最後の皇太子 Kronprinz Wilhelm(ヴィルヘルム・フォン・プロイセン)が過ごした船の室内をイメージした部屋。
そして、リビングルーム。
さらに進むと、いくつかのパネルが。そう、ポツダム会談が開催された部屋への通路。
会議室は彼らを待っていた。Die Großen Drei - The Big Three。
ソビエト連邦共産党書記長 Joseph Stalin、イギリス首相 Winston Churchill、合衆国大統領 Harry S. Trumanである。
彼らは、会議に臨む前、このような部屋で控えていたそうだ。
控室には、たくさんの書物。
日本の運命を決定した会議室。
円卓の中央と壁面に合衆国旗、英国旗、ソビエト旗がある。
そのような会談がなされたこの場所には、こんなパネルがあった。
太平洋戦争のことを説明したパネル。
相変わらず、ドイツの他の博物館と同様、膨大なテキスト量と写真、実展示でとても見ごたえがあります。
すぐそばには、Hotel Schloss Cecilienhofがあります。
おいしい料理を出してくれるレストランがあるそうです。
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